プノンペンの街中に、有刺鉄線で囲まれた博物館があった。
トゥール・スレン博物館は1970年代後半に、この地を支配したポル・ポト派が「反革命分子(スパイ)の拘束」という名のもとに社会的に地位の高かった人々などを次々と収監し、拷問し、そして虐殺していった刑務所。
現在も当時の状態のままで、とても30年が経過している施設とは思えないほど、敷地内には重い空気と、雰囲気が漂っていた。
(参照: Wikipedia 「S21」)
元々高校の施設だったものを「刑務所」に転用したため、敷地内には校庭があり、今もその校庭には拷問の際に使用した人を吊るした柱がある。
柱の下にある甕(かめ)には、水を張り、逆さに吊るした人をこの水中に落とし意識が遠のいたら引き揚げるという拷問が行われていたそうである。
この拷問から逃れ、楽になるために、人々は事実無根の「私はスパイです」の一言を言ってしまい、そのまま処刑されていったそうである。
「元・教室」の一角には、ここで虐殺された人々の写真が一堂に並べられ、その数に圧倒されてしまう。その数、記録にあるだけで2万人。
そしてそこから生き残ったのはわずかに8人。
別の教室には、処刑にも使われた鉄製のベッドが死体写真と共に当時のまま置かれていた。
憎しみ合ってもいない自国民が自国民を大量虐殺するなんて事は本当におぞましい行為である。
ここの敷地にいた2万もの人々が当時の自国政府に虐殺されていった状況に本当に驚いてしまったが、いま私がいるこのタイの隣国「ミャンマー」でも同じように自国政府によって見殺しにされたも同然の民衆が10万人以上いるとの事である。
サイクロンの天災に見舞われたものの、その後は報道を見る限り完全なる人災である。
そしてこれ以上死者が増えればカンボジアのポルポトがここで行った虐殺行為にも等しい。
ここの刑務所で2万人、サイクロンで10万人、四川地震で6万人、と数字だけでの表現は簡単だが、その数はあまりにも多すぎる。