ラオスという国は、不思議な国である。
フランスは旧宗主国で、国中の至る所にフランス文化が根付いている。
フランス語で書かれた看板、フランス風の料理、フランス語をペラペラ喋る街中の屋台商人。まるで、フランスの属国であったのを未だに誇らしげにしているような国民の生活ぶりである。
何せ、首都ヴィエンチャンのド真ん中には「凱旋門」が建っている。まだ未完成だとはいえ、その大きさ、規模は本場の物とそう変わらないらしい。
私が訪れたちょうど数日前には「第23回ファランコフォニー首脳会議」(要するに、フランス語を使う国々のサミット)がこのヴィエンチャンで開かれていたらしく、街中には見た事もないようなアフリカの国々の旗や、フランス、カナダ、カンボジアなどの旗があちこちでなびいていた。
ラオスは地理的にも、歴史的にも周辺各国の影響をもろに受けている国である。
「タイ」の文化、TV番組、言葉、物資、そして通貨。(ラオス国内ではタイバーツも使用可能)
「べトナム」の料理、政治体制(共産主義)。
「中国」の人、風習。
そして何よりも「フランス」の食生活、言葉。
ついでを言えば「日本」の援助によって造られた建物、橋、道路なども数多くみかける。
この街にいると、なんだかんだいって超独自路線を歩んできた隣国「タイ」とは少なからずその違いを感じてしまう。
過去の歴史を見るとラオスとタイは非常に複雑な関係である。
今ではタイ王国の中心ともいえる「ワット・プラケオ(エメラルド寺院)」にある“エメラルド仏”は元々ここヴィエンチャンにあったものをタイ(シャム)の国軍が略奪していったものというのが通説で、それまでにもお互いが侵略と侵攻を繰り返し、現在の国境がひかれているそうである。(詳しくはこちら)
ラオス語とタイのイーサン(東北)方言はほぼ同じであり、食文化も非常によく似ているが、イサーンの人々はラオスの人と一緒にされるのを嫌う傾向がある。
世界大戦中には、タイを挟んでビルマの宗主国イギリスとラオスの宗主国フランスが睨みあいをした史実もあり、現在の国境だけでこの周辺の歴史は簡単に説明が出来ない。
とにもかくにも、なにせ今回のヴィエンチャン訪問で一番驚いたのが、街の発展具合。
わずか5年ほど前にこの街を訪れた時とは街の風景が一変してしまっていた。
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5年前に撮った写真と、今回の写真を比較すると一目瞭然。
2002年末に撮った写真には、まだ大地の赤茶けた部分がかなり見えるが、それが今ではすべてコンクリートか煉瓦で全て埋められていた。
木々が多かった街中も、徐々に建物が増えているのが見れる。
5年前にはただの空き地に平屋の屋台が並んでいた市場は、立派な3階建てのショッピングセンターまで建っていた。 つづく
(左 2002年) (右 2007年)
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確かにこの発展具合は驚きですね、
ルアンプラバーンには行きましたが、別の国みたいですね、、
ホント、今回のヴィエンチャンは驚きました。
「アジアで一番何もない首都」、と形容されていた事もあったそうですが、もうその形容はこの街には恐らく使えないと思います。
街が変わると、そこにいる人々も変わっていってしまうのが、わがままですけれど旅行者としてはちょっと寂しいものもあります。