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2011年05月08日

タイの隣国・ラオスの首都 ビエンチャンVientiane の風景

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数年前に訪れた隣国「ラオス」の首都・Vientianeで撮影した写真をまとめてみました。

枚数が多いので“Facebook”内にアップしています。
こちらから↓↓↓

・ラオス ビエンチャンの風景その1  

・ラオス ビエンチャンの風景その2

・ラオス ビエンチャンの風景その3



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posted by よさく at 04:50| Comment(0) | タイ近隣諸国

2011年04月30日

チェンコン(Thai)〜ファイサイ(Lao)の国境にて


大きな地図で見る

タイ、最北の街、チェンライ県「メーサイ」から南西に約60km。 ラオス国境の街「チェンコン」があります。

国境はメコン川を隔ててあるので、陸路ではなく、船でわたります。
  (↓川の向こうがラオス)
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ここの一帯では、川魚をメインにした料理が名物。

“ラープ”に
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“トムヤム”。
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『ラオス側』より。(対岸がタイ)

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ラオス国境の街「ファイサイ(Huay Xai)」も、とても国境の街とは思えないほど静かでのどかな街。

街の市場。
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子供の野菜売りに、くじ売り場。

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そして、ここはお昼寝の場所。(商売のやる気、なさすぎ。笑)

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posted by よさく at 11:16| Comment(0) | タイ近隣諸国

2010年01月16日

部分日食観測

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“↑写真はYahooニュースから。沖縄での部分日食”

「部分日食」を見たのは、高校生以来であろうか…

 社会人になって、ここ10年(+α)位「空を見上げる」ということをあまりしていなかった気がする。

 たまたま今日の部分日食の時間帯(15:00頃)には余裕があったので、数十分ほど仕事をサボって 休憩して、空を眺めてみた。

 部分日食とはいえ、「太陽」なので、肉眼では無理。

マジックを塗ったプラ板で見てみてもダメ…
シラチャで遮光版は見つからなかった。

さて、どうしようかと思った瞬間。
厚い「雲」が流れて来て〜〜〜

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↓↓↓

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なんと肉眼で部分日食が見れた。

あぁ、やっぱり天体って凄いなぁと思った瞬間。

posted by よさく at 00:44| Comment(0) | タイ近隣諸国

2010年01月13日

タイ今年最大の天文ショー

 昨年7月、日本の奄美地方では「皆既日食」があったが、タイでの今年最大の天文ショー、「食分0.7に近い部分日食」が明後日の15日に観測できる。

 実は、この日食、『金環日食』。
スリランカやミャンマー、中国のチンタオなどでは金環食が観測できる。

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 上の地図は、その金環食が観測できる地域。
  青色・北限
  赤色・中心
  黄色・南限

タイは、かすってるが、残念ながらこの枠内に入っていない。

【資料転載元】
北海道大学の下記データベースより。
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10553/



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ここ、タイ中部地方での日食の見え方を上記サイトで検索した所、↑のこの様な結果であった。

15日、タイ時間の15時37分23秒に最大食(0.652)になるとの事。

にわか天文ファンの私はかなり楽しみ。 晴れますように。。。

ちなみに・・・日本国内でこの「金環食」が起こるのは…

何と直ぐの再来年。2012年5月20日(月)。 


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金環食の中心線が見事に東京を通過します。

朝の7時30分ごろ東京の太陽が月に隠れます。(こうなります)

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楽しみですねー…。


その次の金環食は2030年6月1日で、北海道地方のみ。

また、日本国内で昨年同様の皆既日食が見られるのは 「2035年9月2日」。
北信越から、北関東地方とのこと。

まだまだ先の、25年後…


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posted by よさく at 01:38| Comment(0) | タイ近隣諸国

2008年09月16日

ベトナム ハノイへ その6

【越南記 その6】
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ハノイ滞在中「ベトナム戦争」に関する歴史を少しでも知りたくなり、「戦争博物館」「ホーチミン廟(遺体安置廟)」「捕虜収容所(通称・ハノイヒルトン」と一通りの戦争にかかわる市内の建物を見学して周った。

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 戦争博物館では、当時実際に使われた戦車や兵器、そして、撃墜したアメリカ軍の軍機が巨大モニュメントとして飾ってあり、アメリカに対する戦勝国である「ベトナム」を讃えている施設でもあった。

 ただ、知れば知るほどベトナム戦争は奥が深すぎる。植民地の時代から、東西冷戦に翻弄されるまで、そしてアジアの小さな国が、巨大国家アメリカの社会を二分する事態になっていくまで。
ウィキペディアの項を見ただけでも実に奥が深い。

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 戦争博物館内には、日本からの北ベトナム支持者による寄書きも数多く飾られていた。

 「ベトナム」は隣国「ラオス」と同様に“社会主義国家”である。民主主義国家「タイ」とその狭間に長年翻弄されてきた「カンボジア」。軍国ミャンマー(ビルマ)同様、東南アジアは本当に奥が深い。



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2008年09月06日

ベトナム・ハノイへ その3

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ハノイの街角にて

ベトナムの街角でよく見かける「ノンラー(Non La)」と呼ばれる葉でできた円錐形の帽子。
タイ国内でも見かける事はなくはないが、ベトナム人ほど普通にかぶって普通に似合う民族はやはりいないと思う。

私は土産物屋で試しにかぶってみたが、完全に田舎のおとっつぁんになってしまったので、あっさりと購入をあきらめた。(我ながらある意味似合いすぎていたが…)

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2008年09月04日

ベトナム・ハノイへ その1 viet_nam_sw.gif

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ここは・・・ 
バンコク新国際空港、スワンナプーム空港。 

実は先月、仕事でのちょっとした所用&休暇を兼ねて初めてここから「ベトナム」へ行ってきた。

バンコクからベトナムの首都ハノイまではタイ国際航空、ベトナム航空をはじめ、エールフランスなども就航しているようであるが、私が今回(も)利用したのは「Air ASIA」。

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無料の機内サービスが一切ない格安航空会社で、私が搭乗した日もタイ人、ベトナム人、西洋人の客でほぼ満席であった。(日本人は見なかった…)

航空賃はもろもろが加算されて、往復で9,000Baht。日によっては6,000Baht程度で往復可能なようである。

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 これは、スワンナプーム空港内の出国審査場近くにあった看板。 
 「VAT」とはタイの付加価値税、つまり消費税のことで、一定以上の条件がクリアされれば、ここでタイ国内で支払った税金が返還されるというもの。

英語、中国語とともに、日本語でも一応説明が書いてある。

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 まぁ、ここでスタンプを取得してVATの還付を受ける必要があります。ということのよう…

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スタンプが無いと還付受けられません… って、なんで、いきなりギャル語??

「スタンプないしぃ〜」 笑

 明からに日本語をちょっと勉強したタイ人がこの看板製作には関わっているのであろうが、、、なんでギャル語文法!?

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 まぁ、そんな事はさておき、無事に離陸した飛行機は、正にバンコクの中心地の上空を通過して一路、ハノイへ向け飛び立っていった。viet_nam_sw.gif

…つづく。
 (昨日の晩餐と連動してベトナムで撮った料理写真などを不定期連載していきます。)
posted by よさく at 03:36| Comment(0) | TrackBack(1) | タイ近隣諸国

2008年06月01日

カンボジア その10

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プノンペンには、「ワット・プノン」という寺がある。(ワットは「寺」の意)

 カンボジア政府観光局のホームページより下記、転載。

 この街の名前はペン夫人がワット・プノンをここに建立したことに由来している。この地に遷都したポニャー・ヤット王の遺灰が納められており、その南側にはペン夫人を祀った祠がある。

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 ここの寺は、いわばこの街の中心で、常にカンボジアの人々が絶え間なく参拝に訪れている。外国からの観光客も多い。
 入場料は施設使用料の名目で、外国人のみ「1$」。カンボジア人は無料。
 タイと同じくやっぱりこの国にも「外国人価格」が設定されていた。
 まぁ…仕方ないと言えば仕方ないか。。。
 
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 入口で1$を払って、境内の階段をのぼり、本堂に向かうと…
 最上部でなんと別の人間が、「入場料1$!!」と言ってきた。 まさか、二重徴収の罠が仕掛けてあるとは…

 もちろん、こういうことは断固拒否。 

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 ↑境内には他の寺では見かけることのない、女性の像が祀られている。この像がペン夫人。
 1372年、このペン夫人がメコン川岸に流れ着いた流木のに仏像が隠されていたのを見つけてこの地に祀り、次第にここが「プノン寺(=丘の寺)」と呼ばれるようになったのがこの町の名の由来になったとのこと。(地球の歩き方より)
 決して大きくはない寺であったが、600年以上民衆によって信仰されてきた重みのある寺であった。

 二重徴収のワナを含めて、たかりが多いのにはチョット参ってしまったが…
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posted by よさく at 10:26| Comment(4) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年05月27日

カンボジア その8

カンボジアの交通。その2。

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プノンペン市内の住宅地を散策していたところ、突如明らかに過積載状態のトラックを発見!

ゴミのように積まれている物体の正体は自転車!!
カンボジアの地方にでも中古の自転車を運ぶトラックなのであろうか?

…それにしても、気になったのは、このトラックについていた「初心者マーク」。

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なーんで、プノンペンに日本の初心者マークをつけた車が走っているのか?

しかもしつこい様だが、過積載

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市内のど真ん中に位置しているのは「プノンペン中央駅」。

カンボジア西部のバッタンバンから、このプノンペンを経由して南部のシアヌークビルまでの路線があるらしいが、現在実際に走っているのは、バッタンバンからプノンペンまでの区間だけ。しかも一日に一本運行するかしないかとのこと。 

駅舎外観はそこそこ立派だったが、中に入ると…

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中央駅の中には買い物袋を手に運賃を眺めていた一人しか人がいなかった。この時間は巨大な無人駅である。

北京から、ベトナムのハノイ・ホーチミンを経てカンボジア(プノンペン)、タイ(バンコク)、マレーシア(KL)、そしてシンガポールというアジア南北縦断鉄道の計画もあるらしいが、カンボジアのこの状況を目の当たりにする限り、実際にはそう簡単な計画とはならなさそうな雰囲気が…。

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 プノンペン市内には幾つかの主要幹線道路が南北東西に走っているが、そのメインがモニポン通り。 「モニポン」は現在のシハモニ国王の4代前(在位1927〜41年)の国王の名前。
 他にもノロドム通り(19世紀後半に在位した国王)、シャルルドゴール通り(フランスの将軍)、毛沢東(マンツェントン)通り、という名前の通りがあった。 プノンペンは通りの名前もインターナショナル。

ふと、通りにあったガソリンスタジオの看板見ると、1リットル5000リエルとの標記。
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5000リエル≒50バーツ≒160円。

正直、物価の差が相当ある日本とカンボジアでガソリンの値段がほとんど変わらないというのには驚き。

(新シラチャ日記のこのページにもカンボジアのガソリン話が掲載されています。)

posted by よさく at 04:03| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年05月26日

カンボジア その7

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ソムロー・マチュー・トロコオーン・サイ・チュルック
(豚肉入りサワースープ)


プノンペン市内でメコン川に合流する「トレンサップ川」沿いに“ポンロック(PONLOK)”というカンボジア料理店があった。

 メニューに写真付のメニューがあり、サイズ(量)も選べるとあって、旅行者だけではなく、現地に滞在している外国人にもよく利用されている人気店のようである。価格は一品5$〜10$程度。

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 とりあえずは、見知らぬ土地での食事前の儀式を…。 地ビールで乾杯!! ぷは〜っ! (また独りぼっちか…)

 カンボジアではタイのビール(シンハ)、シンガポールのビール(Tiger)、ベトナムのビール、そしてなぜかアサヒスーパードライの日本からの輸入品が市内のスーパーで陳列されていた。
 他にもフランス経由(と思しき)ヨーロッパビールや、バンコクでも売られているのを見たことのないフランス産のミネラルウォーターなど、スーパーの商品はタイと同等かそれ以上に多国籍であった。

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ソムロー・カリー (ココナッツミルクとジャガイモ、鶏肉のカンボジアンカレー)

 カンボジアはタイと陸で隣接している国ではあるが、民族と同じく料理もタイとは異なる独自の文化を育んでくたようで、似てはいるものの、タイのそれとは明らかに違う感じを受けた。

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 まず、、、なにせ唐辛子の量が少なくやさしい味の料理が多かった。兎に角、辛〜い料理が少ないのである。どちらかというとサワー系の料理が目立っていた気がする。
 また、やっぱりラオスと同じく、フランスの植民地だった時代が長かったせいか、ヨーロッパの雰囲気もどことなく感じる料理や店がプノンペン市内には沢山あった。
posted by よさく at 03:34| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年05月20日

カンボジア その5

 プノンペン市内の交通。

 バンコクの様にメータータクシーは走っておらず(噂によると数台あるらしいが…)、路線バスも見当たらない。

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 市民が移動に使っているのは、もっぱら乗合トラックか、トゥクトゥク、バイクタクシー、そして、↑写真の人力車。

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カンボジアのトゥクトゥクはタイとは異なり、普通のバイクに客席をくっつけた物。 これって思いっきり改造車である。
これってバイクなのか? それとも車?

 自転車をこいで客を運ぶ人力車(カンボジア語不明?)は、ゆうゆうと車道の真ん中を走り、人を運んでいる。

 周りの自動車もこれらのスピードに合わせて、ゆっくり運転している。

 ただ、ゆっくり運転している理由は周囲の影響だけでなく、自分たちのせいでもある車両をいくつも発見。

なにせ、乗車している人が落ちそうな状態なのである。

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このワゴン車、何人乗っていたんだろうか…?
荷物の量もハンパじゃなかった。。。

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こちらはバイクの後ろに乗っていた女性。

良く落ちないな…と見ていて感心。

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 極めつけはこれ。

この人、窓枠を運んでいるんじゃないですよ。

「窓ガラス」を運んでいるんです。w( ̄△ ̄;)w

この人、すごい風圧に耐えながら、のっているのでしょうね〜。

これで車道を走るの、危険すぎ。

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 そんな写真を私もバイクの後ろに乗りながら撮影していたのだが、良く前を見ると、運転しているオヤジが、片手運転で鼻ほじっていた。

 「オヤジ〜!!!」 (* ̄0 ̄*)ノノノノノ

 この後、私がタイから来たと知るや調子に乗ってきたおやじから、「俺、このタイ語知っているぜー!!」と20分にわたり運転しながらタイ語講座。 

頼むから、前見て運転してくれ!!
posted by よさく at 01:52| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年05月18日

カンボジア その3

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プノンペンの街中に、有刺鉄線で囲まれた博物館があった。

 トゥール・スレン博物館は1970年代後半に、この地を支配したポル・ポト派が「反革命分子(スパイ)の拘束」という名のもとに社会的に地位の高かった人々などを次々と収監し、拷問し、そして虐殺していった刑務所。

 現在も当時の状態のままで、とても30年が経過している施設とは思えないほど、敷地内には重い空気と、雰囲気が漂っていた。

 (参照: Wikipedia 「S21」)

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 元々高校の施設だったものを「刑務所」に転用したため、敷地内には校庭があり、今もその校庭には拷問の際に使用した人を吊るした柱がある。

 柱の下にある甕(かめ)には、水を張り、逆さに吊るした人をこの水中に落とし意識が遠のいたら引き揚げるという拷問が行われていたそうである。

 この拷問から逃れ、楽になるために、人々は事実無根の「私はスパイです」の一言を言ってしまい、そのまま処刑されていったそうである。
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  「元・教室」の一角には、ここで虐殺された人々の写真が一堂に並べられ、その数に圧倒されてしまう。その数、記録にあるだけで2万人。
そしてそこから生き残ったのはわずかに8人。

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別の教室には、処刑にも使われた鉄製のベッドが死体写真と共に当時のまま置かれていた。


   憎しみ合ってもいない自国民が自国民を大量虐殺するなんて事は本当におぞましい行為である。

 ここの敷地にいた2万もの人々が当時の自国政府に虐殺されていった状況に本当に驚いてしまったが、いま私がいるこのタイの隣国「ミャンマー」でも同じように自国政府によって見殺しにされたも同然の民衆が10万人以上いるとの事である。

 サイクロンの天災に見舞われたものの、その後は報道を見る限り完全なる人災である。
 そしてこれ以上死者が増えればカンボジアのポルポトがここで行った虐殺行為にも等しい。
 ここの刑務所で2万人、サイクロンで10万人、四川地震で6万人、と数字だけでの表現は簡単だが、その数はあまりにも多すぎる。

posted by よさく at 02:28| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年05月17日

カンボジアその2

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プノンペン市内の食堂にて。

折角カンボジアに入ったのだから、カンボジア料理でも、、、と思ってふらふらプノンペンの街中を彷徨っていたら、目に飛び込んできたのは、安い中華料理店が軒を10件ほど連ねている、リトル・チャイナタウン。

漢字の看板をみていて、なんとなーく美味しそうな香りがしてき、とうとう我慢できなくなって入店。。。(o゜▽゜)ゝイラッシャーイ♪(←カンボジア料理を探していたこと忘却〜/~~~)

こうなったからには飲むのは昼といえど、カンホジアビールの前にタイではなかなか目にする事の無い中国のビール「青島・チンタオ」!!

カンボジアにはタイにある酒の販売時間を規制するような訳の分らない法律はないので、飲みたい時にいつでも飲める。しかも安い!
大衆食堂とはいえ、ビール1本飲んで、ジャージャー麺をひともり食べて、麻婆豆腐をたらふく食べて、4USドル≒400円なり〜。

はぁ〜満足満足〜 (*^-^)
posted by よさく at 04:21| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年05月16日

カンボジアその1

≪カンボジアで撮ってきた写真を数回にわたり、掲載していきます。≫
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5月16日 カンボジアは1950年代に当時のシアヌーク国王がフランスからの独立を勝ち取るまで、仏領の植民地としての歴史が100年近くある。

 ラオス同様、その影響は今でも消えることなく、街のあちらこちらで「フランス」を見ることが出来た。

 空港の看板も、クメール語(カンボジア語)、英語、フランス語、中国語と4ヶ国語。

 街中でもたまにフランス語を話している人がおり、タイとは似ているようで全く異質の空気が首都プノンペンには流れている気がした。
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 西洋風の建物が立ち、フランスパンが街中で売られているものの、やはりふと横を見ると、東南アジアらしい屋台が軒を連ねている。

 カンボジア人の主婦たちは、スズメのような小鳥やカモのような鳥の丸焼きを内臓と共に夕食用にまとめ買いしていた。

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 目の前に停まっていたトラックは昭和30年代に日本で走っていたトヨタのトラック。まだまだここでは現役。 スゲー…

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 カンボジアもタイと同じく王室がある国。
現在のシモハニ国王の宮殿。
 当然と言えば当然だが、建物の美しさが他の建物とは全く違う。


→つづく。
posted by よさく at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年02月23日

キセルの語源

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↑写真。 「煙管」と書いて「キセル」と読む。

キセルは両端にだけ金(かね)を用いることから、俗に乗車駅・下車駅に近い区間だけの切符を持ち,中間を無賃乗車する不正行為の事も言うが、これが本物のキセル。 漢字では「喜世留」と書く事もある。
語源に関しては異説もあるが、カンボジア語のKhsier「クシェル」がなまって「きせる」になったという説が有力だそうである。

「きせる」は、火皿のある「雁首」と、「羅宇竹」、そして「吸い口」の三つの部分より成り立っている。

この真ん中の「羅宇竹」、“ラウダケ”や“ラオダケ”とも読むが、ラオス産の斑紋のある竹を用いたのでラオスの国名である「ラーオ(LAO)」が語源であると言われている。

こんな意外な日本語の中にも東南アジアの言葉などが入っているのを知ると、日本もやはり何かしら東南アジアから影響を受けてきた歴史があるのだなぁ…とつくづく思う。
posted by よさく at 02:57| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2008年02月17日

三回目のヴィエンチャン

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日没直後の“プラトゥー・サイ”(ラオスの凱旋門)


先週、所用によりラオスを一泊で再び訪問してきた。

今回は通算三回目のとても小さな首都「ヴィエンチャン」だったので、滞在中の空いた時間は地図も持たずに街中をぶらぶらとしてみた。

街中で見かけたのは、欧米やアジアからの旅行者、IMG_1244.JPGヴィエンチャンの地元民、そしてラオスの山奥から出稼ぎに来ている民族衣装をまとった山岳民族のラオス人商人などなど。

タイで感じるものとも全く異質な、それぞれの独特な時間が流れている空間がラオス、そしてヴィエンチャンであると改めて感じた。

あらゆる面でタイの後背地と化してしまっているラオスでは、物資の多くをそのタイからの“輸入”に頼っていることが多いので、物価は必然的にタイの物よりも高くなってしまっている物が多い。(ただし、西洋からの輸入酒だけは関税の関係で断然安い!)

例えば、ガソリンガソリンスタンド。 タイでは1リットル30バーツ(≒100円)前後の物が、ラオスでは販売価格が40バーツ弱(≒125円)になってしまっているという話である。
乗車しようとしたトゥクトゥクの言い値運賃があまりにも高く、他のどの車に交渉しても一向に引き下がる気配がないので、「なんで??」と問い詰めたところ、このガソリンの話を懇々と聞かされた。

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『普通のラオス人は首都で生活していたとしても必需物資の価格がタイより高すぎて、これでも生活は相当に厳しいよ』と言っていたのが印象的であった。

ただ、早ければ今春(4月24日??)、バンコクから伸びているタイ鉄道の東北線が、現在の終点である国境の街「ノンカーイ」から、いよいよメコン川を越えてラオス・ヴィエンチャンの近くまでやってくるという。 待望のラオス初の鉄道である。

この鉄道開通により、各国から集まるバンコクの港で上がった物や生活に必要なタイで生産された物資が、現在よりも大量に直接ラオス人の元に届くようになるのであろうか。そして、このラオスの人々の生活が今よりも少しは楽になっていくのであろうか?
posted by よさく at 03:53| Comment(4) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2007年11月30日

ヴィエンチャン人物観察

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屋台街をあるいていた、ラオス人女学生。

 ラオスの女性は、「サロン」と呼ばれる腰巻を身につけていて、これが普段からの服装のようである。

 西洋風のスカートと異なり、なんかとても新鮮な違った清潔感を感じられる服装である。

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その女子学生の近くを歩いていた、老僧侶。

女性の下着を売っている屋台の前で一瞬足を止めて、下着をじっ・・と5秒位見ていたのを私は見逃さなかった。

ラオスの仏教は「女人禁制」の小乗仏教。。。あしからず。

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片やこちらは、携帯電話片手に、街の風景をあちこち撮影していた、ちょっとハイテクな若僧侶。

 写真は撮れなかったが隣にいた僧侶はもたばこを吸ってる不良僧侶。

 この僧侶らに小乗仏教の厳しい戒律は守られているのか!?

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携帯はカメラ付きのハイテクでも、近くの市場で売られている「ミシン」は昭和初期にあった様な感じの懐かしの「足こぎミシン」。

 …ラオスのハイテクの波は、未だミシンには届いていないようである。

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こちら、そのミシンが売られていたすぐ横に貼られていたポスター。
 どうやら、近日中にこの市場内でラオスのスター芸能人たちを呼んでのコンサートが開かれるらしい。

 一番中央に写っているのが今一番の売れっ子アイドル(?)。 

 …んんーっぅ、なんかビミョーな…。


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2007年11月29日

ラオスのお金

前回チラッと書いたとおり、ラオスの貨幣単位有料はKip(キップ)。

ラオスは自国貨幣の信用が低いのか、特別な店だけではなく路地の屋台や大衆食堂などどこででも「タイバーツ」や「米ドル」を使う事が出来る。

 日々変動しているレートではあるが、10,000kip≒40バーツ≒1USドル みたいな ビミョーで簡単な暗黙レートが街中には存在していて、ラオスの商人は通貨の為替計算があっという間にできる。

 ただ、実際の換金レートは11月22日現在「10,000kip≒35.7バーツ≒1.1USドル」(≒120円)であり、ラオス国内で確実に使うお金はKipに変えてしまった方が得。

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↑写真は タイバーツの最大紙幣 1,000バーツを換金したときのラオスKip。全部で「280,000Kip+α」。 ラオスには新紙幣の50,000Kip札も存在はしていたが、ここの両替所では全て10,000Kip札で換金してきた。

 ちなみに日本の1万円札をKipに換金すると「約85万kip」にもなって返ってくる計算。多すぎ。


IMG_1034.JPG→街中で見つけた「ラオスの宝くじ売り場」。
看板に書いてあったのは「一等賞金 1億500万kip」。日本円で「約120万円」。
…んんっ、これまた微妙。でも当てたい。。。 抽選は毎月1日と16日の2回。(タイと全く一緒)

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2007年11月27日

ラオス・ヴィエンチャン その2

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 ラオスの国の中心といっても過言ではない、ワット・タートゥ・ルアン (ラオス寺院の総本山)を観光していたときのこと。。。

IMG_1048.JPG 寺にカメラを向けて撮影をしていたら、突然警察(軍?)の服を着た二人組(コイツら→)に後ろから肩をつかまれてしまった。
 何事かとは思ったが、その説明がま〜ったく聞き取れない英語だったので、「ア〜ン!!?」と半喧嘩ごしに返事をすると、突然ポケットからある物を取り出してきた。

 出てきたものは・・・「30,000Kip」 (Kipはラオスの通貨)と書かれた「ただの名札」。30,00Kipは約350円。ラオスでは結構な金額である。

 よくよく説明を聞くと、ここの寺院は撮影禁止ではないが、撮影したい人は「この札」を買って体につける必要があるとかなんとか・・・ 

 ホントかよ・・・と思いつつ、完全にコイツらの小遣い稼ぎに突き合わされている感もあったが、こんな所でこの人とたちと口喧嘩して無駄な時間と労力を使いたくも無かったので、「アホらしー」と思いながらも、タイバーツで120バーツを支払った。

IMG_1046.JPG ラオス語は完全には読めないのでなんと書いてあるか正確にはわからないが、「この寺院境内の中をどこでも写真にとって良い券」見たいな事が書いてあるあせあせ(飛び散る汗) もちろんこの名札、ただの紙キレ。朝食べたフランスパンより高い。

 絶対に、あの120バーツはヤツらのフトコロに入ったに違いない・・・。ちっ(怒った顔)

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posted by よさく at 03:32| Comment(3) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国

2007年11月26日

ラオス・ヴィエンチャン その1

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ラオスという国は、不思議な国である。

 フランスは旧宗主国で、国中の至る所にフランス文化が根付いている。

 フランス語で書かれた看板、フランス風の料理、フランス語をペラペラ喋る街中の屋台商人。まるで、フランスの属国であったのを未だに誇らしげにしているような国民の生活ぶりである。

 何せ、首都ヴィエンチャンのド真ん中には「凱旋門」が建っている。まだ未完成だとはいえ、その大きさ、規模は本場の物とそう変わらないらしい。
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 私が訪れたちょうど数日前には「第23回ファランコフォニー首脳会議」(要するに、フランス語を使う国々のサミット)がこのヴィエンチャンで開かれていたらしく、街中には見た事もないようなアフリカの国々の旗や、フランス、カナダ、カンボジアなどの旗があちこちでなびいていた。

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 ラオスは地理的にも、歴史的にも周辺各国の影響をもろに受けている国である。
 「タイ」の文化、TV番組、言葉、物資、そして通貨。(ラオス国内ではタイバーツも使用可能)
 「べトナム」の料理、政治体制(共産主義)。
 「中国」の人、風習。
 そして何よりも「フランス」の食生活、言葉。
 ついでを言えば「日本」の援助によって造られた建物、橋、道路なども数多くみかける。

 この街にいると、なんだかんだいって超独自路線を歩んできた隣国「タイ」とは少なからずその違いを感じてしまう。


 過去の歴史を見るとラオスとタイは非常に複雑な関係である。

 今ではタイ王国の中心ともいえる「ワット・プラケオ(エメラルド寺院)」にある“エメラルド仏”は元々ここヴィエンチャンにあったものをタイ(シャム)の国軍が略奪していったものというのが通説で、それまでにもお互いが侵略と侵攻を繰り返し、現在の国境がひかれているそうである。(詳しくはこちら)

 ラオス語とタイのイーサン(東北)方言はほぼ同じであり、食文化も非常によく似ているが、イサーンの人々はラオスの人と一緒にされるのを嫌う傾向がある。

 世界大戦中には、タイを挟んでビルマの宗主国イギリスとラオスの宗主国フランスが睨みあいをした史実もあり、現在の国境だけでこの周辺の歴史は簡単に説明が出来ない。


 とにもかくにも、なにせ今回のヴィエンチャン訪問で一番驚いたのが、街の発展具合。

わずか5年ほど前にこの街を訪れた時とは街の風景が一変してしまっていた。


5年前に撮った写真と、今回の写真を比較すると一目瞭然。
2002年末に撮った写真には、まだ大地の赤茶けた部分がかなり見えるが、それが今ではすべてコンクリートか煉瓦で全て埋められていた。
木々が多かった街中も、徐々に建物が増えているのが見れる。

5年前にはただの空き地に平屋の屋台が並んでいた市場は、立派な3階建てのショッピングセンターまで建っていた。 つづく

(左 2002年) (右 2007年)

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posted by よさく at 00:48| Comment(2) | TrackBack(0) | タイ近隣諸国